重吉さんの生涯

  • 2018.03.29 Thursday
  • 00:26

八木重吉は1898年2月9日現在の町田市相原町に生まれ、神奈川県師範学校(現・横浜国立大学)、東京高等師範学校の英語科を出て、兵庫県の御影師範学校(現・神戸大学)ついで千葉県の東葛飾中学校(現在の千葉県立東葛飾高等学校)で英語の教員をつとめました。学生時代から短歌や詩を書き始め、1924年頃から新聞や雑誌に詩を発表するようになり、翌年には初の刊行詩集「秋の瞳」が刊行されるも結核と診断され茅ヶ崎にて療養生活に入ります。病臥で制作した第二詩集「貧しき信徒」の出版を見ることなく、1927年10月26日、29歳という若さで亡くなりました。

重吉と妻のとみの間には、桃子・陽二という二人の子がいましたが、その二人も重吉と同じく1937年に桃子が、1940年に陽二が相次いで夭折してしまいます。

 

今回、合唱曲を作曲するために、3巻ある八木重吉全集をすべて読みました。5年ほどの短い詩作生活でありましたが、編まれた詩は2000を超えています。この詩を、思い通りにならない苦しい生活の中で慟哭しながらも「光」を探し続け、ついにそれを見つけて自らの人生の使命を全うしたという、魂の記録のように私は感じました。

私の印象としてダダイズム全盛の当時の風潮に反し、ただ素朴で正直な、しかし選び抜かれた数少ない言葉でうたわれている重吉の詩こそ、人が生きるに必要な芸術そのものであり、もはや音楽でもあると強く感じました。

 

詩集「秋の瞳」の序文に 重吉自身の言葉で

 

 私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。

 

と、ありますが、重吉の詩は、まるで人生を並走してくれる友のように私には感じられるのです。

 

と、いうわけで、

合唱曲「私が、もういちど、生まれ変わる日。」を構成する八木重吉の詩の続き(第3、4曲)を、今日もおとどけします。

 

前回書き忘れました。

この作品は、八木重吉の複数の詩に旧約聖書の詩編の言葉を挿入し、私自身の手で全10曲に構成しています。

タイトルの「私が、もういちど、生まれ変わる日。」というのは、作曲のコンセプトをそのまま題名として名付けたものです。

10曲出揃ったところで、通してもう一度読んでいただき、浮かび上がってくるこのコンセプトを感じていただけたら嬉しいです。

 

では、いってみよう!

 

 

3. 人を殺さば

 

ぐさり! と

やって みたし

 

人を ころさば

こころよからん

 

Quia inflammatum est cor meum, 

et renes mei commutati sunt ;

et ego ad nihilum redactus sum, et nescivi :

ut jumentum factus sum apud te,

et ego semper tecum.

(わたしの魂が痛み

心がみじめになったとき

私は愚かで悟らず

み前で荒々しい獣のようになった 詩編73:21-22)

 

 

4. あかんぼもよびな

 

さて

あかんぼは

なぜに あん あん あん あん なくんだらうか

 

ほんとに

うるせいよ

あん あん あん あん

あん あん あん あん

 

うるさか ないよ

うるさか ないよ

よんでるんだよ

かみさまをよんでるんだよ

みんなもよびな

あんなに しつっこくよびな

 

Exaudi, Domine, vocem meam, qua clamavi ad te ;

miserere mei, et exaudi me.

(主よ、わたしが呼ぶとき、わたしの声に聞き

わたしを憐れみ、こたえてください 詩編27:10)

 

(明日に続きます)

 

 

 

松本市音楽文化ホールオルガン設置30周年記念コンサート

”私が、もういちど、生まれ変わる日。”

2018年4月15日

松本市音楽文化ホール

15:00開演